プロフェッショナル三日坊主

グラビアはカルチャーだ

長崎大喫煙者不採用と石野卓球の共通点

どうも、こんにちは。三日坊主なので大分サボった上にテーマもカルチャー何も関係無いのはご愛嬌。今日は前から思ってたことをツラツラ書いてみます。マジで文字だけになりそう。

 

「いじめはいけない!みんなと仲良くしましょう」

よく聞くセリフ。いじめが原因で自殺者が出るとテレビの向こうで偉そうに踏ん反り返ってる連中が口裏を合わせた様にこんなことを言っている。いじめられっ子が自殺した時に「いじめられる方にも問題がある」なんて言おう者ならネットのアホどもの餌食になって、どのテレビ局のレギュラーも降板になる。まあこれ自体は良いだろ。仲はいいに越したことはない。

 

ところが、あれ?おかしいぞこの構図、と私は思う。例を挙げよう。

 

エロ本コーナーの件

 

こないだ「東京オリンピックの時に外国人が来る。その時に恥ずかしいからコンビニのエロ本コーナーは無くせ!」って誰かアホが言ってたな。

なぜアホと言い切れるかと言うと、外国人なんか今もわんさかいるから。数は問題じゃないだろ。0か1以上かの問題だろ。と思うと同時に本当は外国人なんか口実で、単純に不快だからなんだろ。「子供がコンビニに行った時に不適切だから」なんてアホの極み。世の中のほとんどの正常な人間は年間何百回と不適切なコンビニに入って幼少期を過ごしてきたぞ。

 

要するにエロ本コーナー消せ派の主張は「不快だから消せ」になる。バカなフェミニストの狂った主張が平然とまかり通るこの時代に、もはやエロ本コーナーなんか弱者以外の何物でも無い。結果「不快な要素を含むコンテンツは消せ」「弱い立場にある者になら何をしてもいい」みたいな考えを持つ人間に淘汰される。

 

私に言わせれば、というか私じゃない人間に言わせてもこれは単なるいじめ以外の何物でもない。これだけでも地獄なのに、もっと地獄感を強めてる事実は、「子供の為に」という理由があることだと思う。子供には「いじめは良くない。みんなと仲良く」と言っておきながら自分は気に食わない存在を抹消しようとしている。日本昔話にそんな話ありそうだな。

 

喫煙者全滅計画の件

 

ここで例の長崎大学喫煙者不採用の件になる。ここまで読んでくれた人には何が言いたいか見当がついてると思うが、やっぱりこれも弱い者いじめだな。喫煙者というだけで職を得られなくなる時代がやってきている、それが令和のやり方なのか。

 

タバコの値上げ、喫煙所の撤廃、不採用運動、ただ好きなものがタバコというだけなのになぜこんなにも奪われるんだろう。言うまでもなく喫煙者は弱者である。「健康の為に禁煙を推進している」などと要らぬ気を遣われる弱い人間である。

ぶっちゃけ、余計なお世話だ。

健康なんか増進してくれなくて結構、タバコを吸う人にとってはタバコを吸う人間というだけでここまで虐げられているとちう間接的なストレスとタバコを吸う場所も無い買える場所もない直接のストレスのダブルパンチが万年続くんだ。心の健康はどうでも良いのか?と思うがどうでもいいのである、だって喫煙所は弱者だから。弱者の心の健康なんか、タバコを叩く側の人間にとっては知ったこっちゃない。

 

私は頻度も本数も少ないがタバコを吸った経験があるが、今はほとんど吸わなくなった。吸い始める前はタバコを吸うなんて、と思っていたが、吸ってみれば意外と悪くない。クセになるしやめられない人の気持ちもわかる。ただ、今は吸わないので扱いで言えば「非喫煙者」である。私の意見は「タバコの良さを理解する非喫煙者」の意見だ。弱い側でもあり弱い側をいじめる側でもある。

 

「ママ、この写真の人が咥えてるの何?」

「これはタバコって言って、昔はよく見たけど最近は見なくなったね」

「なんで見なくなったの?」

「健康に悪いことがわかってきて、国がどんどんタバコ吸う人を無くそうとしたんだよ。それでタバコ吸う人の立場が弱くなって、どんどんバッシングされる様になったからなのよ」

「へぇ〜ママ達の世代の人って弱い者いじめしてタバコ吸う人を抹殺していったんだね」

 

石野卓球の件

 

エロ本コーナーを潰した、喫煙者も潰した「いじめは良くない」主張派の次なる標的は石野卓球となった。正確に言うとこの手の連中は有名人の不祥事が大好きだから年中叩いては謝罪しろだの釈明しろだのうわ言の様にほざいているわけだが。

 

「謝罪しろ」って、一体卓球は何に関して誰に謝罪するのが正しいんだろう。卓球は何もしてないし、誰にも迷惑をかけていない、勿論法を破ってもいない。「こんな人間なのに法を犯してなくて申し訳ございません」が正解か?だいたいお前ら一般人が謝罪を要求して、思惑通り謝罪されたとして満足なのか?何がしたいのかもよくわからない。

だが、当然だが石野卓球が謝罪することはなかったし、これからも絶対に無い。あるとしたら「謝罪しなくて申し訳ねえ」ぐらいなもんだろう。この姿勢がおそらく謝罪しろ派の沸点を下げたのかは知らないが、急に卓球が叩かれる対象になった。

 

ピエール瀧が逮捕され、作品を停止されて活動が出来なくなった、叩きたい人間からすれば「失言」と取れる発言があった石野卓球は「弱い者」になった。そうして一斉に叩かれ始めた。本人が言っている通り叩いてる連中はバカばっかりだ。ここで言うバカは「勉強が出来ない」ではなく「何も考えずに行動している脳みそ空っぽのイカレトンチキ」という意味だ。

 

ここぞとばかりに弱い者いじめを開始した連中は卓球に面食らった。「弱い者なのに反抗的な態度だな」てな感じに。叩けば萎縮するどころかどんどん勢いを増してくる。石野卓球はバカからみれば弱い者かもしれないが、蓋を開けてみれば間違っている物には間違っていると言える強い者だったのだ。しかも圧倒的な知名度と影響力を持ったアーティスト故に当然頭もキレるし痛快にバカ達に反撃している。結局のところ、弱い者だと思っていじめようと思ったら強い者だったので、バカ達の叩き方はせめて人間の言葉で喋ってくれと言いたくなる様な雑音ばかりになっている。バカ達を論破することは不可能だが、ここで弱い者いじめ派の無敗記録は途絶えた。悪あがきしかもう残されていない。

 

弱い者いじめの本質

 

バカがやることに変わりはない。これまで例に挙げた叩き方には「時代にそぐわない」と言う言い分がある。これはバカの口癖と言っていい。何故時代の流れが正しいと信じて疑わないのか、それが疑問でならない。時代にそぐわなくても正しい価値はあるし、その逆も然り。

 

グローバル化の時代に外国人を考慮する。ここまでは正しいが、エロ本コーナーをこの世から無くす、そんな必要がどこにある?外国人が日本に望むものはそれなのか?私はエロ本コーナーが無くなったいきさつを外国人に知られる方が恥ずかしい。「日本人って何も考えていない民族なんだね」、私が外国人だったら絶対にそう思う。

 

タバコを吸うことはどんどんタブー視されて、令和が終わる頃にはタバコの箱を持っていただけで牢獄にブチ込まれるのはほぼ確実だと思うが、それも正しいやり方ではない。喫煙者と非喫煙者、と言う様に二元論的に物事を扱うと優劣や善悪のレッテルを貼ろうとするのは人間の醜いところだ。なぜ共存するという選択肢が無いのかが理解出来ない。

 

結局、本質的に人間は弱い者をいじめたいのである。それが教室で起きるいじめという形で現れない限りはいじめだと認定されにくいし、だからエロ本コーナーを潰すし喫煙者を抹消しようとする。教室でのいじめは良くないことだと誰もがわかっている。いじめは良くないと言いながら自分は平気でいじめをやっている、そんな人間は意外と身の回りにいる。